海洋生物学者に よれば、クジラの腹に入るのは相当に危険らしい。
それでもあなたがどうしても飲みこまれ てみたいなら、マッコウクジラを見つけるといい。
たいていのクジラはプランクトンのような微生物を 食べるので、のどの幅はせいぜい10cm~13cm程度。
それは世界最大のシロナガスクジラも同じで、 気づいたらシロナガスクジラの口の中だった、なんてことになったらさあ大変。
人間はでかすぎてのど を通らないから、重さ3t近い舌の強烈な一撃をくらって旅を終えるのが落ちだ。
それにひきかえ、マッコウクジラはダイオウイカのような大物を餌にする。
重さ180kgくらいの 動物を丸呑みにした記録も残っているほどだ。
だから理屈の上では、あなたはマッコウクジラの喉から先へと進める。
でも、たとえ歯や舌を通過したとしても、4つある胃のひとつ目は避けて通れない。
そして、そこでまた別の問題がもちあがる。
クジラは腹の中でガスが発生しやすい動物だ。
あなたを待っているそのガスの正体は、酸素じゃなくてメタンのみ。
メタン自体に毒性はないものの、呼吸困難にすることで窒息させる性質をもつ。
ほとんどの人は30秒くらいしか息を止めていられない。
体組織であれば、酸素が不足しても数時間はもつが、脳ではまったく話が違う。
血中に残った酸素が底をつけば、脳細胞はたちまち死滅しはじめる。
4分ほどで修復不能の損傷を受け、数分後には完全な脳死が訪れる。
そうそう、あなたはクジラの胃とも格闘する羽目になる。
マッコウクジラは食物を噛まずに飲みこみ、 第一胃の筋肉でそれを小さく押しつぶす。
だから、強力な胃酸に溶かされるチャンスすら巡ってこないうちに、胃の筋肉で粒入りピーナッツバターもどきにされてしまう。
でも、ご安心あれ。
耳寄りな話がある。
マッコウクジラは世界で最も高価な糞(竜香)をする。
これからの分泌物が固まって 排泄されたもので、香水の原料として珍重されている。
1ポンド(約454g)の塊だと6万ドル(約782万) の値がつく。
つまり、窒息して潰されて溶かされて出されたあと、あなたの残骸はどこかの浜辺に打ちあげられるかもしれない。
たまたま日光浴をしていたラッキーな人が、 竜涎香と糞臭にまみれた状のあなたを拾い、それを売って小金を儲ける。
そこから先は運がぐんぐん上向いていく。
調香師が手を加えると、あなたの亡骸は格段にいい香りを放ちはじめる。
しかも、あなたの終の棲家は地面の穴や海底なんかじゃない。
どこかのご婦人のうなじだ。
あなた の優しいひと吹きで、女性を芳しくしてあげられるのである。
ほかに色々な死にようがあることを思えば、あなたにも神の介在が信じられるんじゃないだろうか。