進化の鍵は性善説:人間が協力により生き延びた理由

 人間は、生存競争の中で数多くの進化を遂げてきた。

 その中でも、人間が性善的に進化してきたという考え方がある。

 これは、人間が自己中心的で利己的ではなく、むしろ他者を助けたり協力したりすることで生き残ってきたという理論だ。

 本記事では、この「性善説」がどのようにして生まれ、どのようにして進化したのか、また現代社会においてその意義がどのように考えられているのかについて、解説していく。

 人間が進化してきた過程を理解することで、人間の行動や社会のあり方について深く考えてみよう。

利己的であって欲しい現代人

 あなたが「人はどちらかと言えば性善である」と質問されたどうするだろうか?

 「人の本質は性悪である」と答えた可能性が高いかもしれない。

 実のところ最初の質問の意味は、あるアメリカ人心理学者たちが行った研究によって、「生来、人間は利己的である」という感情を人間は感じやすいとこを証明したということが関係している。

 実際に行われた実験では、被験者に赤の他人が良い行いをしている状況をいくつも見せた。

 その結果、何がわかっただろうか?

 どうやら私たちは人間は、他者に対して利己心を見つけるように訓練されている可能性があるようだ。

・ お年寄りが道路を渡るのを手助けしている人を見たら?

(なんて目立ちたがり屋なの!)

・ホームレスにお金を恵んでいる人を見たら?

(自分のことを良い人だとでも思っているのか!)

 さらに赤の他人でも落とし物の財布は持ち主に届けるという信頼できるデータや、ほとんどの人は不正行為や盗みをしないという事実を研究者から示された後でも、被験者は人間性を肯定的に見ようとしなかった。

「それどころか、無私欲に見える行動にも必ず利己的な目的があるのではないか?と決めつけた」と、心理学者たちは書いている。

 つまり、他人に対しては暗い見方をするようになっているのだ。

おそらく、今あなたはこう考えているだろう。

 「ちょっと待って、自分はそんなふうには育てられなかった。 故郷では誰もが互いを信頼し、助け合っていたし、ドアに鍵をかける こともなかった」

 その通り、人は善良だと仮定するのは簡単で家族や友人、隣人に関しては確かにそうだ。

だが、それ以外の人々に対しては、 猜疑心の方が強くなる。

 参考に世界価値観調査も見てみよう。

これは社会科学者のネットワークが約100カ国で1980年代から行われている大規模世論調査だ。

 主な質問は、「一般的に言って、ほとんどの人は信頼できると思いますか。それとも、人と関わる際には心の注意が必要だと思いますか」である。

 しかし、それに対する回答結果は気の滅入るものだ。

 ほとんどの国で、他人は信用できない、と考えていた。

 それがフランス、ドイツ、英国、米国などの堅牢な民主主義の国家でさえ、国民の大多数は、同じ国人に対して否定的な見方をする。

 また他人だけでなく世の中に対しても良い印象をもっていないことが分かった。

ある調査では30か国の人に「全体的に見て、世界は良くなっ ているか、悪くなっているか、良くも悪くもなっていないかという質問を行った。

するとロシアから カナダ、メキシコ、ハンガリーに至るまで、どの国でも圧倒的多数が、 世界は悪くなっていると答えだった。

 現実は過去数十年の間に、極度の貧困、戦争の犠牲者、小児死亡、 犯罪、飢饉、児童労働、自然災害による死、飛行機墜落事故はすべて急激に減少している。

つまり、かつてないほど豊かで、安全で、健全な時代に生きているのだ。

では、なぜわたしたちはそのことに気づかないのだろう。

その答えは簡単だ。

メディアで話題やニュースになるのは、決まって例外的な出来事ばかりだからだ。

 テロ攻撃であれ、暴動や災害であれ、例外的であるほど話題性としての価値は高まる。

 例えば極度の貧困の中で暮らす人の数が、前日より13万7000人減少したという見出しをあなたが見ることは決してないだろう。

 それが現実で起きた、過去25年間の真実であったとしても。

また、レポーターが街路に立って「ここは何の変哲もない場所であり、さらに今日も戦争は起きていません」などと報じるテレビ局があるだろうか?

他にはオランダの社会学者のチームが、飛行機の墜落がメディアで、どのように報じられるかを分析した。

 1991年~2005年までの間に、飛行機事故は一貫して減少し、 一方、事故に対するメディアの関心は一貫して高まった。

 その結果、飛行機は年々安全になっているにもかかわらず、人々は飛行機に乗ることを次第に恐れるよ うになった。

さらに別の研究では、メディア研究者のチームが、移民、犯罪、テロに関する400万超の新聞 記事を含むデータベースを調べて、暴力の数が減ると、それらに関する記事が増えるというパターンを見つけた。

したがって「ニュースと現実との間に相関はなく、むしろ負の相関があるようだ」と彼らは結論づけた。

人間はなぜ、ニュースが伝える破滅に影響されやすいのだろう。

それには2つの理由がある。

 1つは、心理学者が「ネガティビティ・バイアス」と呼ぶものだ。

わたしたち は良いことよりも悪いことのほうに敏感だ。

 狩猟採集の時代に戻れば、クモやヘビを100回怖がったほうが、1回しか怖がらないより生存率が高まった。

 人は、怖がりすぎても死なないが、恐れ知らずは死ぬ可能性の方が高くなる。

2つ目の理由は、「アベイラビリティ・バイアス」、つまり手に入りやすい (アベイラブル) 情報だけをもとに意思決定する傾向である。

 何らかの情報を思い出しやすいと、それはよく起きることだと、わたしたちは思い込む。

 航空機事故、子どもの誘拐、斬首といった、 記憶に残りやすい恐ろしい話を日々浴びせられていると、世界観は完全に歪んでしまう。

レバノン人の統計学者、ナシム・ニコラス・タレブが冷ややかに言うように「ニュースを見るのは、わたしたちに理性が足りない」からである。

また科学の分野でも、人間の本性は悪だという見方が何十年もの間、支配的だった。

 人間の本性について書かれた本を探すと、『男の凶暴性はどこからきたか』、『利己的な遺伝子』、 『殺してやる 止められない本能』といったタイトルが見つかる。

 他にも生物学者は長い間、 進化論によって思いやりがあるように見える動物の行動も、実は利己的な行動として説明された。

・家族間の愛情?

(血縁者をひいきしているだけだ!)

・サルが仲間とバナナを分け合う?

( たかり屋に利用されているだけだ!)

 アメリカ人のある生物学者は嘲笑気味に「協力のように見えるものは、日和見主義と搾取の混合にすぎない。 「利他主義者」をひっかいたら、「偽善者の血が流れるだろう」 と述べていた。

 また経済学でも人に対する見方は、ほぼ同じだった。

経済学者は人間をホモ・エコノミクスとして定義づけた。

ホモ・エコノミクスとは、利己的で計算高いロボットのように、いつも自分の利益だけを考えている種であり、人間性に関するこの見方に基づいて理論とモデルの殿堂を組み立て、 それらを軸として多くの法律が生まれた。

 しかし、肝心なホモ・エコノミクスが実在するかどうかを調べた人はいなかった。

 2000年に なってようやく、経済学者のジョセフ・ヘンリックと彼のチームが調査に乗り出した。

5大陸、12か国の15のコミュニティを訪れ、そこで暮らす農民、遊牧民、狩猟民、採集民を対象として、一連のテストを行った。

目的は、何十年にもわたって経済理論を導いてきたホモ・エコノミクスを見つけることだ。

だが、無駄だった。

どこでも、いつでも、調査結果が示すのは、人間は、ホモ・エコノミクスと呼ぶにはあまりにも善良で、あまりにも優しいということだった。

 この調査結果は、広範に影響した。

 その後もヘンリックは、多くの経済学者の仮説の土台 になっているこの架空の存在を探しつづけた。

そして、ついにホモ・エコノミクスを見つけた。

 もっとも、「ホモ」という名称は正しくない。

なぜなら、彼が見つけたホモ・エコノミ クスは、人間ではなくチンパンジーだったからだ。

 「ホモ・エコノミクスモデルの標準的な予測は、簡単な実験でチンパンジーの行動を予測するには正確であることが証明された。したがって、すべての理論的研究は無駄ではなかった。単に間違った種に適用れただけなのだ」と、ヘンリックは自嘲気味に書いている。

 また人間に対する冷笑的な見方は、古代ギリシアの時代からすでに広まっていた。

最初の歴史家の1人であるトゥキュディデスの著作にもそれを読み取ることができる。

 紀元前427年にギリ シアのコルキラ島(現在のコルフ島)で起きた内戦について、彼はこう書いている。

 「文明生活の慣習が混乱に陥ると、法が支配する状況でもしばしば顔を覗かせる人間の本性が、 けもの 堂々と表に現れた」

 つまり、人間が獣のようにふるまったと言っているのだ。

この人間に対する否定的な見方は、キリスト教に最初期から浸透していた。

ローマ帝国時代の教父アウグスティヌス(354年~430年)は、人間は生まれながらに罪深いという考え が世に広まるのを助けた。

 「罪を犯さない人は1人もいない。この世に生まれてまだ1日しかたっていない赤ん坊であっても」と彼は書いている。

この原罪という考えは、プロテスタントがローマカトリック教会から分離した宗教改革の時代にも広く支持された。

宗教改革を指揮した神学者ジャン・カルヴァンは、「我々の本質 は、貧しく、善性が欠けているだけでなく、あらゆる悪に満たされており、それらの悪は抑制できない」と説いた。

 この考えは、ハイデルベルク信仰問答 (1563年出版)などのプ ロテスタントの重要な手引書に刻み込まれており、人間は「いかなる善行も行えず、あらゆる悪に傾いている」とわたしたちに告げる。

誤った進化論と利己的な遺伝子

 さて私たち人間が「歴史」と呼ぶものは、24時間のうち23:59分から24:00の間に起きている。

 その短い間に、ホモ・サピエンスは極寒のツンドラから酷暑の砂漠まで、地球全体を征服した。

 さらには、地球を飛び出し、月に降り立つ最初の種になった。

 だがなぜ、それは人間だったのだろう。

 最初の宇宙飛行士は、なぜバナナではなかったのか?

 なぜ、牛、あるいは、チンパンジーではなかったのか?

 ばかげた疑問のように思えるかもしれないが、人間とバナナは、DNAの60%が同じで、人間とウシは80%が同じだ。そしてチンパンジーとは、99%が同じなのだ。

 牛が人間の乳を搾るのではなく、人間が牛の乳を搾り、チンパンジーが人間を艦に入れるのではなく、人間がチンパンジーを艦に入れるという状況は、決して当たり前の成り行きではなかった。

 たった1%の違いが、なぜこれほどの差をもたらしたのだろう?

 長い間、わたしたちは自らの特権的地位を、神の計画の一部だと考えてきた。

 よく「人類は他のどの生物よりも優れていて、賢く、勝っていて、神の創造物の頂点に立っているから」と言われるが、ちょっと想像してみよう。

 意外にも進化の基本的な要因ははっきりしている。

 進化に必要なのは、多くの受難や苦闘、時間である。

 まず大抵の動物は過剰な数の子どもを産む。

 その中から環境への適応が他のより上手い子は、生き延びる可能性が高く、自らの子孫を残す可能性も高い。

 そして死ぬまで続く仲間どうしの競争を想像してみよう。

 数十億の生物が生存をかけて競い合い、大半は子孫にバトンを繫げられないまま死んでいく。

 この競争を、例えば40億年間も続けると、親と子の間のごくわずかな違いが枝となって成長し、やがて巨大で多様な生命の木が誕生する。

 シンプルだが、すばらしい

 そして1976年に、英国の生物学者リチャード・ドーキンスは、遺伝子が進化に果たす役割を述べた自らの最高傑作、 『利己的な遺伝子』を出版した。

 利己的とは、自分の利益だけを中心に考え、他人の立場などを考えないで行動するさまを指す。

 我々にはそういった利己的な遺伝子が生まれながらにして存在しているというのが、ドーキンスの主張だった。

 さらに「自然にまかせておけば世界はより良いものになるのだろうか?」という問題についてのドーキンスの答えはハッキリしている。

「そんなことを期待してはいけない。わたしたちは利己的に生まれついているのだから、寛大さと利他主義を教えることを試みようではないか」

 そして 『利己的な遺伝子』の出版から40年後、イギリスでは科学書の中で最も影響力のある本として認められた。

 今の現代には延々と続く残忍なプロセスの産物として、ホモ・サピエンスの私たちがいる。

 今まで99.9%の種が絶滅したというのに、私たちは今も生き続けている。

 そう、わたしたちは地球を征服したのだ。

 次は天の川銀河を征服するかもしれない。

 だが、なぜわたしたちなのか?

 それは「人間の遺伝子が全ての生物の遺伝子の中で一番利己的だから」だと、あなたは思うかもしれない。

 私たちは「強く、賢く、ケチで、意地悪だから生き残ったのだ」

 だが本当にそうだろうか?

 実のところ、人間は思っているほど生物的に強いわけではない。

 チンパンジーは人間を楽々殴り倒すことができるし、雄牛は鋭い角で人間をたやすく突き刺すことができる。

 生まれた時の人間は無力で、その後も、貧弱で、のろまで、さっさと木の上に逃げることもできない。

 では、人間は賢いから生き延びたのだろうか。

 あなたはそう思うかもしれない。

 ホモ・サピエンスは他の動物に比べて大きな脳を持っており、北極に作ったサウナ並みに大量のエネルギーを消費する。

 重さは体重のたった2%しかないが、わたしたちが消費するカロリーの20%を脳は消費する。

 だが、人間は本当にそれほど賢いのだろうか。

 わたしたちは難しい計算をしたり、美しい絵を描いたりするが、大抵はその技術を誰かから学んでいる。

 例えば、私たちは10まで数えることができる。

 すばらしいことだ

 だが、そうした数え方を1人で考え出せるとは思えない。

 科学者たちは、長年にわたって「生まれつき最も賢いのはどの動物か?」という謎を解こうとしきた。

 その標準的な方法は、人間の知能をオランウータンやチンパンジーなど、他の霊長類の知能と比べることだ。

(一般に、人間の被験者は幼児である。なぜなら、幼児は多くを学ぶほど長く生きていないからだ)

 あるドイツの研究チームが作成した38問からなる一連のテストを行ったところ、その結果は空間認識、計算、因果性認識において、類人猿と人間の幼児と点数は変わらないことが分かった。

 それどころか、人間の作業記憶、情報処理速度などの、昔から人間の知性の核心と見なされてきた能力はどちらもトップでないことが明らかになった。

 単純な脳力にせよ、人間は毛の生えた親戚より優れているわけではないのである。

 では、わたしたちはこの大きな脳を何のために使っているのだろう。

 もしかすると、脳は人間をより滑稽しているのかもしれない。

 これは、イタリアのルネサンス期の哲学者ニッコロ・マキャヴェッリに、ちなんで名づけられた「マキャヴェッリ的知性仮説」の核心である。

マキャヴェッリは支配者のための手引書、 『君主論』を書いた。

その中で彼は、権力を維持するには嘘や欺臓の網を張らなければならないとアドバイスする。

 マキャヴェッリ的知性仮説の支持者によると

 古来より我々は知恵を絞って互いを騙し合ってきた。

 そして、嘘をつくことは、正直でいるより多くのエネルギーを必要とする。

 だから人間の脳は、米ソ冷戦時代に備蓄された核兵器のように膨張した。

 つまりこの知的な軍拡競争から生み出されたのが、現人類のスーパー頭脳なのだ。

 もし、この説が真実なら「相手を騙すゲームなら他の霊長類に簡単に勝てるはずだ」と、あなた思うだろう。

 ところが、そうはいかない。

 多くの研究から、こうしたテストでもチンパンジーは人間を負かし、人間は嘘が下手であることがわかっている。

 それだけでなく、人間は生来、他人を信用しやすい。

 だから詐欺師は、巧みに人を嘱すことができるのだ。

 マキャヴェッリは著書において「自分の感情を決して露わにしてはならない」と助言している。

「差恥心は何の役にも立たない。目的は、どんな手を使ってでも勝つことだ」と彼は説く。

 だが、あつかましい人間だけが勝つのなら、なぜ人間は動物の中で唯一の赤面する種族なのだろう?

 ダーウィンによると赤面は、「あらゆる表現の中で、最も特異で、最も人間らしい」

 ダーウィン、この現象が万人共通するものなのかどうかを知りたいと思ったので、海外に暮らす知人、すなわち、伝道師や商人、植民地の官僚に手紙を送った。

「はい。ここに暮らす人々も赤面します」という答えが全員から戻ってきた。

 だが、なぜ赤面という現象は、進化の過程で消えなかったのだろう?

ネアンデルタール人にも負ける人類

 例えば今日に至るまでネアンデルタール人の一般的なイメージは「愚かな乱暴者」というものであり、その理由は容易に理解できるが、そんな生物と私たちは、つい最近まで一緒に地球上に暮らしていたという事実を無視はできない。

 ネアンデルタール人以外にも「ホモ・エレクトス」・「ホモ・フローレシエンシス」・「ホモ・デニソワン」・「ホモ・ネアンデルターレンシス」も我らの同胞である。

 ゴシキヒワやメキシコマシコが同じスズメ目アトリ科であるのと同様に、彼らも同じヒト族なのである。

では、なぜ私たちが「チンパンジーを動物園の檻に入れ、その逆にならなかったのか?」という疑問が浮上する。

 私たちは同じヒト族の兄弟姉妹をどのように扱ったのだろう?

 なぜ、それらは例外なく絶滅したのだろう?

 例えば「ネアンデルタール人」は私たちよりも力が弱かったのだろうか?

 とんでもない、彼らはホウレンソウの缶詰を食べた後のポパイのような腕を持つ、筋骨隆々な原始人だった。

 さらに重要こととして、彼らは我々の予想よりもタフだった。

 1990年代に2人のアメリカ人考古学者がそれを突きとめたのだ。

 彼らは、ネアンデルタール人の折れた骨や割れた骨を詳しく分析して、ネアンデルタール人は大型動物を荒々しく扱う、現代の職業集団と同じくらいタフだったという結論に至った。

 その現代の職業集団とは、ロデオカウボーイである。

 この2人の考古学者は、プロ・ロデオカウボーイズ協会に依頼した。

 同協会は1800年代当時、2593件の負傷者の記録を持っていた。

 そして考古学者たちは、その骨折のデータをネアンデルタール人のデータと比較したところ、ロデオのカーボーイと驚くほどよく似ていることを発見た。

 では、その唯一の違いはなんだろうか?

 ネアンデルタール人は暴れ馬や牛に乗るのではなく、マンモスやサーベルタイガーを相手に槍で突いていたということだ。

 つまりネアンデルタール人は弱くはなかった。

 だとすれば、きっと私たちより頭悪かったのかもしれない。

 しかし、ここで残酷な真実を明かさなければならない。

 ネアンデルタール人の脳は 1500㎤ で、我々の脳はおよそ1300㎤

 つまりネアンデルタールは脳が15%も大きいのだ。

 人間はスーパーブレインを自慢するが、彼らの脳はさしずめ巨大ブレインだ。

 人間の脳が「MacBook Air」だとしたら、ネアンデルタール人の脳は「MacBook Pro」だ。

 ネアンデルタール人について新たな発見が続くにつれて、彼らは驚くほど知的だったというコンセンサスが高まってきた。

  ネアンデルタール人は火をおこし、調理をしたり、衣類や楽器や装身具を作り、洞窟に壁画を描いた。

 ある種の石器の作り方など、私たちがネアンデルタール人の真似をしたことを示唆する証拠もある。

 死者を埋葬する習慣もネアンデルタール人から真似したと考えられている。

 では、大きな脳とたくましい筋肉を持ち、2度の氷期を生き延びたネアンデルタール人は、なぜ地球上から消えたのだろうか?

 20万年以上もの間、生き抜いてきたのに、ホモ・サピエンスが現れると間もなく、ネアンデルタール人にとってゲーム終了となったのはなぜか?

 ここに1つの決定的で皮肉な仮説がある。

 もし私たちが、ネアンデルタール人ほど強くはなく、勇敢でなく、賢くもなかったのだとすれば、おそらく私たちは彼らより意地が悪かったのだろう。

 イスラエル人の歴史学者ユヴァル・ノアハラリは以下のように推測した。

「サピエンスがネアンデルタール人に出会った後に起きた、史上初の最も凄まじい民族浄化作戦だった可能性が高い」

 ピューリッツァー賞を受賞した地理学者のジャレド・ダイアモンドも同じ考えで、こう述べている。

「状況証拠は弱いが、殺人者たちには有罪の判決が下された」

 リチャード・ドーキンスが利己的な遺伝子に関して、ロシアの遺伝学者であるドミトリー・ベリャーエフは、正反対のことを主張していた。

 ドミトリーベリャーエフの主張は、「人間は飼いならされた類人猿」だと言っている。

 つまり数万年の間、他人を信用しないような利己的な人間よりも、人と協力できる良い人ほど多くの子どもを残せたのだ。

 人間の進化は「フレンドリーほど生き残りやすい」というルールの上に成り立っていた、というのが彼の主張だ。

 もし、それが正しければ、わたしたちの体にはその証拠があるはずだろう。

 しかしベリャーエフには自らの仮説を検証する方法がなかったが、その後、科学はかなり進歩した。

 2014年、アメリカ人のチームが過去20万年の間に、人間の頭骨がどのように変化したかを調べて、1つのパターンを突き止めた。

 その長い年月の間に「人間の顔と体は、より柔和で、より若々しく、より女性的になった」というものだ。

 脳は少なくとも10%小さくなり、歯と顎骨は、発生生物学の用語を使えば幼形成熟(大人なっても幼体の特徴を保つこと)した。

 簡単に言えば、子どものようになったのである。

 人間の頭とネアンデルタール人の頭を比べると、違いはさらに顕著だ。

 人間の脳は小さくて丸みがあり、額の隆起は小さい。

 人間とネアンデルタール人の関係は、イヌとオオカミの関係に等しい。

 そして、大人のイヌがオオカミの子どもに似ているように、人間は進化の結果、サルの赤ちゃんに似ている。

 つまり、ホモ・パピー(子犬)である。

 わたしたちの外見に変化が起きたのは、およそ5万年前で、興味深いことに、それはネアンデルタール人が姿を消し、わたしたちが盛んに発明を始めた頃だ。

 例えばより優れた砥石、釣り糸、弓矢、丸木舟、洞窟壁画などである。

 こうしたことはいずれも、進化の観点から見れば、辻棲が合わない。

 人間は脆弱になり、攻撃されやすくなり、幼く見えるようになった脳は小さくなった。

 しかし人間の世界は複雑になっていったなぜそんなことになったのだろう。

 そして、ホモ・パピーはどうやって世界を征服したのだろう?

なぜホモ・サピエンスは生き残った?

 人間を特別な存在にしているのは何だろ?

 なぜわたしたちは博物館を建設し、一方、ネアンデルタール人はその中にずっと立っているのだろう。

 先に述べた霊長類と幼児に対して行った38問からなるテストの結果をもう一度見てみよう。

 そのテストでは空間認識、計算、因果性認識を調べたと述べたが、実は、4つ目の能力として、社会的学習についても評価した。

 それは、他人から学ぶ能力である。

 そして、この最後の能力の評価は、興味深いことを明らかにした。

 チンパンジーとオランウータンは、ほぼ全ての認知テストで、2歳の子どもと同等の点数を示したが、社会的学習に関しては幼児が勝る

 人間の子どもの大半は満点を取るが、類人猿の大半は0点なのだ。

 結局のところ人間は超社会的な学習機械であり、学び、結びつき、遊ぶように生まれついているだ。

 だとすれば、赤面するのが人間特有の反応なのは、それほど奇妙なことでもないだろう。

 顔を赤らめるのは、本質的に社会的な感情表現だ。

 他人の考えを気にかけていることを示し、信頼を育み、協力を可能にする。

 わたしたちが互いの目を見る時にも、似たようなことが起きる。それは人間の目には白い部分あるからだ。

 これも人間だけに見られる特徴であり、おかげで、他者の視線の動きを追うことできる。

 霊長類は200種以上いるが、人間以外は皆、白目の部分(強膜)に色がついている。

 人間以外の霊長類は、まるでサングラスをかけたポーカープレイャーのように、「視線の動き」をわかりにくくしている。

 だが、人間は違う。

 ある人が何に注意を向けているかを、周囲の誰もが容易に察知できるもし、お互いの目を見ることができなければ、友情や恋愛はどんなものになるだろう?

 どうすれば、互いを信頼できる人だと感じることができるだろう?

 ある学者は、「この人間に特有の目は、人間の家畜化のもう一つの副産物だと考えているより社会的になるように進化するにつれて、わたしたちは心の内や感情をより明らかにし始めたのだ」と述べている。

 加えて、人間は、眉の部分が平坦だ。

 一方、ネアンデルタール人やチンパンジーやオランウータンのその部分は隆起しており、それがコミュニケーションの妨げになる、と科学者たちは考えている。

 人間は眉を微妙に動かして、感情を伝えることができるが、彼らにはそれができない。

 驚き、共感、嫌悪感を表情で表現して見れば、眉がどれほど大きな働きをしているかがわかるだろう。

 つまり人間はポーカーフェイスと呼ぶには、ほど遠いのだ。

 常に感情をあらわにし、周囲の人々とつながりを持つようにできている。

 しかし、それは人間にとってハンディ・キャップなどではなく、スーパーパワーの源なのだ。

 なぜなら、社会的な人間は、一緒にいて楽しいだけでなく、より賢いからだ。

 こう考えるとわかりやすい、天才族と模倣族という2つの部族が住む惑星があるとする。

 天才族は賢く、100人に1人は、生きている間に驚くほどすばらしいもの(例えば、釣り竿)を発明する。

 一方、模倣族はそれほど賢くないので、釣り竿を発明するのは1000人に1人だ。

 従って、この発明に限って言えば、天才族は模倣族より100倍賢い。

 しかし、天才族には問題がある。

 それは社会性に欠けていることだ。

 釣り竿を発明した天才族には、釣り教えられる友人が平均で一人しかいない。

 一方、模倣族は10倍社交的で1人当たり平均で10人の友人がいる。

 他のに釣りを教えるのは難しく、半分しかうまく教えられない、と仮定しよう。

 さて釣竿の発明からより多くの利益を得るのは、どちらのグループだろう。

 人類学者のジョセフ・ヘンリックの計算よると、天才族では5人に1人しか「釣りのやり方」を覚えない。

 その半分は自分で考え出し、残り半分は他の誰かから教わる。

 対照的に、模倣族で釣り竿を思いつくのは1000人に1人、つまりたった0.1%だが、最終的に他の99.9%の人も釣りできるようになる。

 なぜなら他の模倣族から学ぶからだ。

 ネアンデルタール人は、どちらかと言えば天才族に似ていた。

 1人ひとりの脳は大きかったが、全体としてあまり賢くなかった。

 1人のホモ・ネアンデルターレンシスは、1人のホモ、サビエンスより賢かったかもしれないが、ホモ・サピエンスは大きな集団で暮らし、一つの集団から別の集団へとたびたび移動し、また、おそらくは模倣がうまかった。

 ネアンデルタール人が超高速コンピュータだとしたら、人間は時代遅れのパソコンだ。

 しかし、Wi-Fiでつながっている。

 動きは遅いが、より良くつながっているのだ。

 科学者の中には「人間の言語能力」も社会性の副産物だと考える人がいる。

 言葉は、自分では考え出せなくても、互いから学ぶことのできるシステムの好例だ。

 では、ネアンデルタール人には何が起きたのだろう。

 結局、ホモ・パピーが彼らを全滅させてしまったのだろうか?

 このシナリオは刺激的な本や映画のネタになるかもしれないが、支持する証拠は皆無だ。

 もっと説得力のある説明は、わたしたちは最後の氷期(11万5000〜1万5000年前)の厳しい気候条件を、ネアンデルタール人よりうまく乗り切ることができた。

 なぜなら彼らより「協力する能力」が高かったから、というものだ。

 では、あの気の滅入るような本、 『利己的な遺伝子』についてはどう考えればいいだろう。

 あの本は1970年代の風潮にぴったり適合した。

 巨大エネルギー企業エンロンのCEO、ジェフリー、スキリングである。

 スキリングは 『利己的な遺伝子』を読んで落ち込むどころか、エンロンを貢欲さのメカニズムによって運営しようとした。

 彼は、社員の業績を評価するために、「ランク・アンド・ヤンク(昇進と処罰)」システムを取り入れた。

 スコアが一の社員は、トップ・パフォーマーにランクされ、多額のポーナスが支給される。

 最下位であるスコア五の社員は、「シベリア行き」グループに入れられる。

 それは、屈辱的だけなく、2週間以内に別のポジションを見つけることができなければ解雇さことを意味した。

 このシステムがもたらしたのは、社員が激しく競いあうホップズ流の社風だった。

 2001年後半に、エンロンが巨額の不正会計をしていたというニュース報じられた。

 一連の騒動が収まった時、スキリングは刑務所に入っていた。

 現在でも米国の大企業の60%は、何らかの形のランク・アンド・ヤンクシステムを採用している。

 2008年のリーマンショック後、ジャーナリストのヨリス・ライエンダイクロンドンの金融サービス部門を、「万人の万人に対する闘争というホップズ流の世界」と評し、「その特徴は、下品で、残忍で、長続きしない人間関係である」と語った。

 同様に、組織的に従業員を競い合わせる手法は、Amazonやウーバーなどでも使われている。

 Uberのある社員は匿名でこう語った。

 「(Uberは)ホッブズ流のジャングルであり、他の誰かが死なないかぎりは出世ができない」

 そして1990年代以降、科学は進歩した。

 『利己的な遺伝子』の2版以降、ドーキンスが「人間は生来、利己だ」という主張を削除したため、その仮説は生物学者の支持を失った。

 闘争と競争は確かに進化の要因だが、協調の方がはるかに重要なのだ。

 はるか昔から、それは真実だった。

 遠い祖先たちは集団で暮らすことの重要性を知っていて、個人をむやみに崇拝することはほとんどなかった。

 かつては、極寒のツンドラから酷暑の砂漠まで世界のどこでも狩猟採集民は、全てはつながっていると考えていた。

 彼らは自分のことを何か大きなものの一部であり、他のすべての動物と植物、さらには母なる地球とつながっていると考えていた。

 おそらく彼らは、人間の状態を、現在のわたしたちよりもよく理解していたのだろう。

 そうであれば、孤独が人を病気にするのは、少しも不思議ではない。

 人との接触がないこと害はタバコを15本吸うのに匹敵するのも、ペットを飼うと鬱になるリスクが減るのも、不思議でない人間は他者との一体感と交流を何より欲する。

 わたしたちの体が食物を渇望するように、わたしたちの心はつながりを渇望する。

 その渇望のおかげで、ホモ・パピーは月に降り立つまでになった。

 おそらく、創造主も宇宙の計画も存在しないのだろう。

 おそらく、わたしたちは偶然の産物であり、数百万年におよぶ目的のない手探りの結果にすぎないのだろう。

 だが、少なくとわたしたちは1人ではない。

 私たちには仲間がいる。

参考文献

・Charles Darwin, ‘To Joseph Dalton Hooker’, Darwin Correspondence Project (11 January 1844).

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