人類が戦争を始めた本当の理由:歴史と考古学から見る支配と平等の探求

人類はいつから戦争を始めたのか?

 突然だが、我々人間というのは多く点で昔から優しくない存在である。

 例えば嫉妬や激怒や憎悪といった感情の歴史は長く、人間は常にそれらのための犠牲を払ってきた。

 当然、現代だろうと原始の時代だろうと怒りが爆発することは避けられていない。

 どんなに平和主義的に争うを避けても、緊急時に攻撃手段がない種族は生き残れない。

 人間の恐ろしさは1492年にバハマに上陸したある旅人による記録からも垣間見れる。

 彼は偶然たどり着いた、島の住民がきわめて平和に暮らしていることに驚いた。

「彼らは武器を持っておらず、そもそも武器のことを知らない。わたしが剣見せたところ……(彼らは)それが何なのかわからず、自分を切ってしまった」

 さらにこの経験から、その旅人はあるアイデアを思いついたのである。

「彼らはすばらしい召使いになるだろう…こちらが50人もいれば、彼ら全員を服従させ、こちらの望み通りに何でもさせることができる」

 この旅人の名は「クリストファー・コロンブス」であり、彼の計画は直ちに実行された。

 翌年には17隻の船1500の乗組員を乗せてバハマへ戻り、大西洋奴隷貿易を始めたのである。

 それ以来、半世紀の間にカリブの人口は1%未満になった。

 その多くの人々は、奴隷として連れ去られたか、病気で亡くなった。

 「未開人」にとって、「文明化した」入植者との遭遇は、衝撃的だったにちがいない。

 人を誘拐したり、殺したりするといったことは、異星での出来事のように思えただろう。

支配を嫌う祖先と従う子孫

 まず基本的に私たちの祖先は今以上に不平等を嫌っていた。

 重要な決定の多くは、全員が発言権を持つ長い審議を経て行われたくらいだ。

 あるアメリカ人の人類学者は339件という多数のフィールドワークに基づいてこう述べている。

「狩猟採集者は一般にほとんど強迫的なまでに、他者に支配されないことを重視する」

 仮に力の差があり、狩猟採集民がそれを認めていたとしても、その差は一時的なもので何らかの目的があった。

 リーダーは、知識が豊かであるか、腕が立つか、カリスマ的だった。

 つまり、与えられた仕事をこなす能力があったのだ。

 科学者はこれを「能力に基づく不平等」と呼ぶ同時に、これらの社会では、メンバーを謙虚にさせるためにシンプルな武器を用いた。

 それが差恥心である

 カナダ人の人類学者リチャード・リーは、カラハリ砂漠で狩猟採集の生活を送るクン人とともに数週間をすごし、彼らの生活ぶりを記録した。

 それを読めば、わたしたちの祖先の間で差恥心がどのような働きをしたかがわかる。

 以下は、部族の男が述べる、成功したハンターのあるべき姿だった。

 「彼(成功したハンター)は焚き火のそばに黙って座る。他の誰かが来て 『今日は何を見つけた?』と聞くと、ようやく静かに答える。『ああ、ぼくは狩りには向いていない。何も見つからなかっ……ほんの小さいのを一匹見つけただけだ』、それを聞いてわたしは1人でほほ笑む。なぜなら、彼が大きな獲物を仕留めたことを知っているからだ」

 さらに、あるクン人はこう言った。

「わたしたちが自慢する人間を拒絶するのは、その男はプライドが高いせいで、いつか誰かを殺すことになるからだ。だから、わたしたちはいつもその男に、おまえが捕まえた獲物の肉は価値がないと言う。そうやって男の頭を冷やし、穏やかにさせるのだ」

 また、狩猟採集民間で等しくタブーになっていたのは、備蓄と貯蔵である。

 歴史の大半を通じて、わたしたちが収集したのは、物ではなく友情だった。

 ヨーロッパの探検家たちは皆、現地の人々の信じられないほどの寛大さに驚いた。

 「彼らが持っているものを要求すると、絶対にノーとは言わない。逆に彼らは、誰とでも、分かち合おうとする」と、コロンブスは航海日誌に書いている。

 もちろん、どこにでも「公正な分配」を嫌がる人はいるものだ。

 しかし、傲慢すぎたり、強欲すぎたりすると、追放されるリスクを負うことになる。

 そして、追放という脅しが効かない場合、最終的な解決策が採られる。

 クン人の部族で起きた次のできごとを例に挙げよう。

 主役はトウィという乱暴者だ。

 彼はだんだん手に負えなくなり、既に2人の人間を殺した。

 部族のメンバーは苛立っていた。

 「彼らは全員、トウィに向けて毒矢を撃ち込んだ。そしてトウィがヤマアラシのような姿になって死ぬと、男も女もその亡骸に歩み寄り、槍を突き刺し、その死に対する責任を共有した」

 人類学者は、先史時代の集団でも、偉そうにする仲間を手早く片付けるために、このような介入は時々起きていたはずだ、と言う。

 これは、自らを家畜化する方法の一つだ。

 こうすることで攻撃的な人は子どもを残すチャンスが少なくなり、穏やかな人は多くの子孫を残すことができた。

 また、人類の大半の期間、男女はおおむね平等だった。

 洞窟に暮らす祖先については、こん棒持ち短気で胸を叩くゴリラのような人というイメージが浸透しているが、おそらく昔の男性はそれほどマッチョではなかった。

 また原始時代のフェミニストでもあったと考えられる。

 科学者は、男女が平等だったことが、ホモ・サピエンスをネアンデルタール人などの他の人類より優位に立たせたのではないかと推測する。

 フィールドワークによって明らかになったのは、男性支配する社会では男性は主に兄弟や従兄弟と共に行動するが、男女が等しく権威を持つ社会では、人々はより多様なソーシャルネットワークを持っていることだ。

 そして、友だちが多いほど、人は最終的により賢くなる。

 男女平等は子どもの育て方にも表れる。

 原始的な社会の男性は、現代の父親より多くの時間を子どもたちと過ごしていた。

 また、子育ては部族全体が担う責任だった。

 乳幼児は誰もに抱かれ、母親ではない女性の母乳で育てられることもあった。

 「そのような幼少期の経験は、狩猟採集社会の子どもが自らの世界を 『与えられる場所』と見なしがちな理由を説明する」と、ある人類学者は書いている。

 現代の親は子どもに、知らない人と話してはいけないと教えるが、旧石器時代の子どもは、信頼を栄養として育てられたそして、もう一つ。

 狩猟採集民は性生活に関してもかなりおおらかだったことを示す証拠がある。

 ある生物学者は人間のことを「連続的単婚者」と表現する。

 タンザニアのハッツァ族は生涯平均で2人〜3人の伴侶を持ち、その選択権は女性にある。

 また、パラグアイの山地に住むアチェでは、女性は生涯に平均で12人もの夫を持つ。

 この父親かもしれない人の大きなネットワークには、その誰もが子育てを手伝うという利点が伴う。

 17世紀に、カナダの先住民族イヌー族の居住地に派遣された宣教師は、不貞はよくないとイヌーの人々に忠告した。

 それに対して、イヌー族はこう言い返した。

 「そんなことはない。あなたたちフランスは自分の子どもしか愛さないが、わたしたちは部族の子ども全員を愛している」

なぜ人間は性善的に進化することで生き残ったのか?

支配者いなくとも神殿や都市は築かれた

 支配者なしでも神殿や都市が築かれた一祖先の暮らしについて知れば知るほど、私の疑問は増えていった。

 もし本当に、かつて人間は自由と平等の世界に住んでいたのであれば、なぜそこを去ったのだろう。

 そして、もし狩猟採集民が偉そうにするリーダーを難なくお払い箱にできるのであれば、なぜ私たちはそれができないのだろう。

 それについて一般的な説明は、現代社会は傲慢なリーダーなしには成り立たない、というものだ。

 国家が王や大統領を必要とし、企業がCEOを必要とするのは、地理学者のジャレド・ダイアモンドが言うように、「大集団は、決定を下すリーダーなしには機能しない」からだ。

 この説は間違いなく、多くの経営トップや君主の耳に心地よく響くはずだ。

 そしてそれは確かに理にかなっているように聞こえる。

 実のところ、人々を操る支配者がいなかったら、神殿やピラミッドや都市を築くことができただろうか?

 しかし、歴史を振り返れば、厳格なヒエラルキーがないまま神殿や、さらには都市さえ築いた社会はいくつも見つかる。

 例えば、1995年に本格的な発掘が始まった、トルコ南東部の巨大な石の建造物について考えてみよう。

 その遺跡に林立する美しい彫刻を施した石柱はそれぞれ重さが20tを超える。

 ストーンヘンジを術祷とさせるが、それよりはるかに驚異的なものだ。石柱の年代がわかった時、研究者たちは特然とした。

 建造物が作られたのは1万1000年以上前のことだったのだ。

 当時、農耕社会はまだ誕生しておらず、したがって、王や官僚による支配も始まっていなかったはずだ。

 考古学者は調査を進めたが農業の痕跡を見つけることはできなかった。

 この巨大な建造物は狩猟採集民が作ったのだ。

 その建造物は、ギョベクリ・テペ(トルコ語で「太鼓腹の丘」という意味)と名付けられた。

 それは世界最古の神殿であり、学者たちが「集団作業イベント」と呼ぶものの例だ。

 数千人が働き、手伝うために遠方から巡礼者がやってきた。

 完成すると、ガゼルのローストを含む、ごちそうが並べられ、盛大な祝典が開かれた(考古学者はガゼルの骨を数千個も発見した)。

 このモニュメントが、首長のご機嫌をとるために建てられたのでないのは明らかだ。

 目的は人々を団結させることだった。

 とは言え、有史以前にも時には個人が権力を握ったという手がかりがある。

 その良い例は、1955年にモスクワのおよそ200km北にあるスンギルで発見された墓だ。

 そこに埋葬された人骨は、マンモスの牙で作ったブレスレット、キツネの歯で飾られた帽子、多数の象牙のビーズで飾られていた。

 全て3万年前のものだ。

 この墓はある種の王子や王女の墓だったに違いない。

 もっとも彼らが埋葬されたのは、ピラミッドや大聖堂が作られるずっと前のことだった。

 たとえそうだとしても、そのような墓地遺跡は非常に稀で、数百km離れた場所に、わずかな墓が点在するだけだ。

 したがって科学者たちは、支配者が権力の座についたとしてもじきに彼らはその座を追われたと考えている。

 数万年前からわたしたちは、偉そうにする人を倒すための効率的なシステムを持っていた。

 ユーモア、あざけり、ゴシップだ。

 それらが効かない場合は、背後に隠していた弓矢を使った。

 しかし突如としてそのシステムは機能しなくなった。

 急に支配者たちは玉座に腰をすえ権力を手放さないようになった。

 なぜ、そうなったのだろう?

定住、私有財産、戦争、権力、リーダー

 権力者が玉座に座りづづける理由を理解するには、1万5000年ほど前の最後の氷期の終わりまで遡らなければならない。

 当時、人間の数は少なく、また、彼らは寒さをしのぐために団結しなければならなかった。

 人々は、生き延びるために戦うのではなく、生き延びるために寄り添い、互いを暖め合った。

 しかし、やがて氷期は終わり、西のナイル川と東のチグリス川にはさまれた地域は豊穣の地となった。

 そこでは、団結して厳しい自然に立ち向かう必要はなかった。

 食物が豊富にあったので、移動するよりとどまったほうが得策だった。

 家や神殿が建てられ、村や町が形成され、人口が増えた。

 さらに重要なこととして、人々の所有物が増えていったこのことについて、ルソーは何と言っただろう。

「最初に誰かが、杭や溝で土地に囲いをし、これは俺のものだ、と言うことを思いついた」

 そこから、全てが悪い方向に進みだした。

 もっとも、土地、動物、さらには人間まで個人の所有物にできることを、人々に納得させるは難しかっただろう。

 なにしろ狩猟採集民は、ほとんど全てのものを共有していたからだ。

 そして、所有の始まりは、不平等の拡大を意味した。

 誰かが亡くなると、その人の所有物は次の世代に受け継がれた。

 この種の継承が当たり前になるにつれて、貧富の差が広がっていった。

 興味深いのは、最終氷期が終わったのと同じ頃に、最初の戦争が起きたことだ。

 考古学的研究により、人間が定住を始めた時期に最初の軍事要塞が築かれたことがわかっている。

 弓の射手が互いを狙っている洞窟壁画が最初に描かれたのも同じ時期だ。

 そして、この時代以降、暴力の傷跡がはっきり残る人骨が多く見つかるようになる。

 学者たちは、少なくとも2つの理由がある、と考えている。

 1つは、土地を始め、争いの原因になるものを人間が所有するようになったことだ。

 もう一つは、定住するようになった人間が、見知らぬ人に対して不信感を抱くようになったことだ。

 狩猟採集の入会資格はかなり緩やかだった。

 彼らは常に見知らぬ集団と出会い、容易に合流していた。

 しかし、村を築いて暮らすようになると、人間は自らのコミュニティと所有物より関心を向けるようになった。

 ホモパピーは世界主義者をやめて、外国人恐怖症になったのだ。

 皮肉なことに、そんなわたしたちが見知らぬ人々と団結するのは、主に戦うためだった氏族は他の氏族による攻撃を防ぐために、同盟を築き始めた。

 そこでリーダーが出現した。

 たいてい戦場で活躍したカリスマ性のある人物だった。

 新たな戦いが起きるたびに、彼らのリーダーとしての地位は固まっていった。

 やがて、この戦場のリーダーたちは権力を振るうようになり、平和時にもそれを手放さなくなった。

 通常、このようなリーダーは強制的に退位させられた。

「永久的な王位を確保できなかった成り上がり者が無数にいたはずだ」と、ある歴史学者は言う。

 しかし、大衆による介入が遅れ、リーダーが大衆から身を守るために必要なだけの従者を獲得することもある。

 このようなタイプのリーダーが支配する社会は、戦争に執着し始める。

 戦争という現象を理解するには、支配者に目を向けなければならない。

 将軍と王、大統領と補佐官。

 彼らは、戦争をすれば自分の力と権威が高まることを知っていて、その目的で戦争を始める怪獣だ。

 旧約聖書では、預言者サムエルが、イスラエルの人々に王を受け入れることの危険性を警告した。

 これは聖書の中で最も先見性のある、不吉な一節である。

 あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。

 まず、あなたたちの息子を徴用する。

 それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、千人隊の長、五十人隊の長として任命し王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。

 また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にするまた、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。

 またあなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。

 あなたたちの奴隷、女奴隷若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。

 また、あなたたちのヒツジの十分の一を徴収する。

 こうして、あなたたちは王の奴隷となる。

 定住と私有財産の出現は、人類史に新しい時代をもたらした。

 その時代には、1%人が99%の人を抑圧し、口先のうまい人間が指揮官から将軍へ、首長から王へと出世した。

 こうして人間の自由、平等、友愛の日々は終わった。

農耕文明は休みを奪い、女性に重い負担を課した

「現実主義」を自称する著述家たちはたいてい、ジャック・ルソーを素朴なロマンチストとして無視する。

 なぜなら、一般的に信じられている洞窟に暮らしていた頃の人間は陰り声をあげて、互いの頭を殴って殺すような野蛮人だったが、農業と私有財産の普及がつい人間平和と安全繁栄をもたらしたという考えがあるからだ。

 それをジャック・ルソーは認めなかったし、年中、空腹で喧嘩ばかりしていることに疲れた私たちの祖先が、平和と安全と繁栄を嬉々として受け入れたということも認めなかった。

 そうしたことは全部嘘だとルソーは思っていた。

 むしろ「人間が1か所に落ち着いた時からすべて崩壊し始めた」と彼は考えており、現代の考古学的証拠もそう語っている。

 また、ルソー、農業の発明を大いなる失敗と見ており、それについても現代では科学的な証拠が無数にある。

 一例を挙げると、狩猟採集民非常に安楽な生活を送っていて、1週間の労働時間は多くても、平均20時間〜30時間だったことを人類学者は突きとめた。

 当時は、それだけ働けば十分だった。

 自然は彼らが必要とするものを全て与えてくれたので、のんびりしたり、セックスしたりする時間はたっぶりあった。

 対照的に農民は、大地を耕し、作物を育てなければならないので、のんびり過ごす時間はほとんどない。

 働かなければ、食べるものはない。

 神学者の中には「エデンの園からの追放の物語は、組織的農業への転換を示唆している」と言う人さえいる。

 確かに、創世記の第13章には、神がアダムに語った言葉として、「お前は顔に汗を流してパンを得る」と書かれている。

 定住生活は、特に女性に重い負担を課した。

 私有財産と農業の始まりは原始のフェミニズムの時代を終わらせた。

 息子たちは家族の畑や家畜の世話をするために父親の土地にとどまった。

 それが意味するのは、妻は夫の農場に移り住まなければならないということだ。

 何世紀もたつうちに、適齢期の娘たちは商品のような存在になり、ウシやヒツジのように取引されるようになった。

 彼女らは嫁ぎ先では、よそ者として扱われたが、男の子を産むと、ようやく家族として受け入れられた。

 もっとも、それは嫡出子を産んだ場合だ。

 この頃から女性の純潔が異常なほど重視されるようになったのは、決して偶然ではなかった。

 狩猟採集の時代の女性は自由に行動できたが、この頃になると家に繋がれ、すっかり覆い隠された。家父長制度が誕生したのだ。

 事態は悪くなる一方だった。

 ルソーは、定住した農民は狩猟採集民ほど健康ではなかったと言った、その点でも彼は正しかった。

 狩猟採集の生活をしていた頃、人間はたくさん体を動かし、ビタミンと食物繊維に富む多様な食物を食べていたが、農民になると、朝も昼も夜も単調な穀物の料理を食べるようになった。

 人間は密集して、自らの排池物の近くで暮らすようになった。

 また、ブタやウシなどの動物飼いならし、それらの乳を飲み始めた。こうしたことが集落を巨大なペトリ皿に変えその中で細菌やウイルスが変異した。

「市民社会の歴史を語ろうとすれば、人間の病気の歴史についても語ることになるだろう」と、ルソーは書いている。

 麻疹、天然痘、結核、梅毒、マラリア、コレラ、ペストなどの感染症は、農業が始まるまで、人間社会は存在しなかった。

 では、どこから来たのだろう?

 答えは人間が新たに飼いならしたペットからだ。

 より正確に言えば、それらが宿していた病原菌からである。

 麻珍は、牛のウイルスから分かれ出現した。

 インフルエンザは、人間とブタとカモの微細な三角関係から生まれ、現在でも絶えず新しい菌株が生まれている。

 性感染症も同様だ。

 狩猟採集の時代にはほとんど存在しなかったが、牧畜をするようになると流行し始めた。

 その理由はかなり恥ずかしいものだが。

 家畜の飼育を始めた時に人間は獣姦を思いついた、つまり、動物とのセックスである。

 世の中のストレスが増えるにつれて、農民の中にはこっそりとヒツジやヤギを犯す者が出てきたのだ。

 性感染症は、男性が女性に純潔を求めるようになった、もう1つの理由でもある。

 嫡出子かどうかという問題に加えて性感染症への恐怖がそうさせたのだ。

 ハーレムを持つ王や皇帝は、自らが所有する女たちの「貞淑さ」を守るためにあらゆる手を使った。

 ここから婚前交渉は罪だという考えが生まれ、今も多くの人がそれを支持している。

 一か所に定住するようになった人間は間もなく、洪水、飢僅、伝染病といった終わりのない災厄と戦わなければならないことに気づいた。

 凶作や、致死性の感染症の流行のせいで集落の全員が死ぬこともあった。

 当初の人類はこのような展開に当惑したはずだ。

 「なぜこんなことになったのだろう。誰かが裏で誰が操っているのだろうか?」と

 学者たちは「人間はいつの時代も神や霊魂を信じていた」と考えている。

 しかし、狩猟採集していた頃の祖先が信じた神は、人間の命にはあまり関心がなかったし、ましてや罪を犯した人を罰することには、まったく関心がなかった。

 その時代の信仰は、むしろ、タンザニア狩猟採集民、ハッツァ族と何年も共に暮らしたアメリカの人類学者が述べたものに似ていただろう。

「ハッツァ族は宗教を持っていると言えると思う。少なくとも一種の宇宙観を持っているしかしそれは、(キリスト教やイスラム教やヒンズー教などを信じる)複雑な社会に生きるわたしたちが宗教と考えるものには似ていない。教会、説教師、指導者、宗教的な守護者は一存在せ、偶像も神々の像もない。組織化れた規則的な集会も、信仰上の道徳もなく、来世への期待もない。彼らの宗教は、主要な宗教とはまるで違っている」

 しかし大規模な集落が出現するようになると、信仰に劇的な変化が起きた。

 人間は突然降一りかかる大惨事を説明するために、執念深い全能の神の存在を信じるようになった。

 わたしたちが何か間違ったことをすると激怒する神であるあらゆる種類の聖職者が、神が怒っている理由を見つけることを託された。

 わたしたちは禁じられた物を食べたのだろうか、禁じられたことを言ったのか。間違った考えを抱いたのだろうか。

 歴史上初めて、人間はの概念を発達させた。

 そして、どうすれば罪を償うことができるのかと、聖職者に教えを請うようになった。

 祈ったり、一連の儀式をしたりするだけですむ場合もあったが、多くの場合、大切な所有物を神に捧げなければならなかった。

 食物や動物、果ては人間を生費にすることもあった。

 例えばアステカ族は、首都のテノチティトランに、人間を生賛にするための巨大産業を築いていた。

 1519年にその地を侵攻したコンキスタドールは、最大の神殿テンプロ・マヨールで巨大な台と塔の上に、何千人分もの頭蓋骨が積み上げられているのを見て衝撃を受けたのだ。

「これらの生費の目的は神をなだめるためだけではなかった」と現在の学者たちは考えている。

「儀式という状況であっても、捕虜を殺すことは強い政治的声明であり…全住民を支配する方法だった」と、ある人類学者は述べる。

 これらの苦難、すなわち飢離、伝染病、支配者による抑圧といった苦難を考えると、「なぜ?」と尋ねずにはいられない。

 なぜ人間は、一か所に定住することが良いアイデアだと思ったのだろう。

 なぜ人間は、狩猟採集という気楽で健康的な生活を捨てて、農耕民としての苦しく難儀な生活を選んだのだろう。

 現在、研究者たちはパズルのピースをあるべき場所にはめ込み、かなり正確な絵を再現している。

 最初の定住はおそらく、土地があまりにも魅力的だったからだ。

 枝がたわむほど果実が実り、無数のガゼルやカリブーが草を食むこの世の楽園にいることに気づいた祖先たちは、ここにとどまらないのは頭がどうかしていると思ったにちがいない。

 農業に関しても、ほぼ同じだった。

 誰かが作物の育て方を思いついたわけではない。

 わたしたちの祖先は何万年も前から、植物を植えたら収穫できることを知っいたが、その道へ向かうべきではないということも知っていた。

 クン人の、ある人類学者はきっぱりと言った

「なぜ、植えなければならないのか?この世には、こんなにたくさんのモンゴンゴ(木の実)があるのに」

 最も論理的な説明は、人間が買にはまったというものだ。

 その買とは、チグリス川とユーフラテス川の間に広がる肥沃な氾濫原である。

 そこでは手間をかけなくても作物が育った毎年、洪水が残していった。

 栄養豊かで柔らかい土に、種をまくことができた。自然がほとんどの作業をしてくれたので、働くことが嫌いなホモ、パピーも、農業をやってみる気になったのだ。

 祖先たちに予測できなかったのは、人間の数がいかに増えるかということだった。

 居住地の人口が増えるにつれて、周辺の野生動物の数は減っていった。

 不足を補うために、肥沃な土壌がない場所にまで、畑を広げなければならなくなった。

 突然、農業は楽な仕事ではなくなり、祖先たちは日の出から日没まで、耕したり種をまいたりといった作業に追われるようになった。

 こうした作業のために作られていたわけではない人間の体は、あちこちが故障し痛くなった。

 わたしたちは木の実を集めてのんきに暮らすように進化してきたが、今やその生活を重労働が占めるようになったのだ。

 では、なぜ人間は、かつての自由気ままな生活に戻ろうとしなかったのだろう?

 一言でいうと、過ぎたからだ。

 まさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、食べさせなければならない家族が増えすぎただけでなく、この頃になると人間は、狩猟採集のコツを忘れてしまっていた。

 また、荷物をまとめて、より緑豊かな草原に引っ越すこともできなかった。

 なぜなら、周囲の土地にもすでに人間が定住していて、侵入者は歓迎されなかったからだ。

 要するに、祖先たちは買にはまったのであるほどなくして農民は狩猟採集民より多くなった。

 なぜなら、農業は狩猟採集よりも、同じ面積の土地から、より多くの食料を収穫できたからだ。

 これが大きな軍隊を育てることを可能した。

 一方、伝統的な生活を続けた狩猟採集民は、侵略者と彼らが持ち込む感染症との戦いを強いられた。

 独裁的な支配者に屈することを拒んだ部族は、最終的に力によって倒された。

 この最初衝突が、世界の歴史を形作るレースの始まりを知らせた。

 村は町に征服され町は市に併合され、市は州(県)に飲み込まれ、といった具合に、社会全体が、戦争の容赦ない要求に応えるために必死になって規模を拡大した。

 この一連の変化は、ルソーが嘆き悲しんだ最終的な惨事でピークに達した。その惨事とは、国家の誕生である。

 トマス・ホップズが描いた、地球を歩いた最初の人類の絵に戻ってみよう。

 ホップズは、自由な生活がわたしたちの祖先を「万人の万人に対する闘争」に追い込んだ、と考えた。

「したがって、人間が最初のリヴァイアサン(指導者や王)と、それらが約束した安全を望んで受け入れたのは当然だ」とホップズは主張した。

 しかし私たちは今では、狩猟採集民だった祖先がそのような支配者を嫌っていたことを知っている。

 最初に生まれた国家、すなわち、メソポタミアのウルクやファラオが支配したエジプトなどは、例外なく奴隷国家だった。

 人々は狭い場所に詰め込まれて暮らすことを選ばなかったが、新たな奴隷を渇望する政府によって捕らえられ、艦に入れられた。

 天然痘などの疫病のせいで奴隷が死に続けたせいだ(旧約聖書が、都市を否定的に描いているのは偶然ではない。バベルの塔の崩壊からソドムとゴモラの滅びまで、罪に支配された都市に、神は明瞭な裁きを下した)。

 皮肉なことに、お金の発明、文書の発達、法制度の誕生など、今日わたしたちが「文明化の印」として挙げるものは、抑圧の道具として始まった。

 最初の貨幣を例に挙げよう。人間がお金を作るようになったのは、それが生活を楽にすると考えたからではなく、税を課すための効率的な方法が必要とされたからだ。

 また、最初に書かれた文章は、ロマンチックな詩ではなく、未払いの借金の長いリストだった。

 法制度についてはどうだろう。

 最初の法典である有名なハンムラビ法典には、奴隷の逃亡を手助けした人に下される罰について、びっしりと書かれている。

 民主主義の誕生の地と呼ばれるアテネでは、人口の3分の2は奴隷にされ、プラトンやアリストテレスのような偉大な思想家さえ、奴隷制度がなければ文明は存在し得ないと考えていた。

 おそらく、国家の本質を最もよく表しているのは、万里の長城だ。

 この驚異的な建造物は危険な「蛮族」を入らせないためのものだが、国民を閉じ込めるためのものでもあった。

 事実上それは、中華帝国を世界最大の野外刑務所にしていたそしてアメリカの歴史には、大半の歴史書がタブーとして口をつぐむ事実が存在する。

 そをあえて記録した数少ない人の1人が、建国の父、ベンジャミン・フランクリンだ。

 ルソーが本書いのと同じ頃に、フランクリンは、「野蛮な生活を経験したヨーロッパ人は再びわたしたちの社会暮らすことに耐えられない」と記している。

 野蛮な生活を経験したヨーロッパ人とは、アメリカの先住民に捕らえられ、後に解放されたヨーロッパ人のことだ。

 フランクリンは、「文明人である」はずの白人男女が、植民地の生活に耐えられず、「隙を狙って再び森の中に逃げようとする様子」を書き記した。

 植民地の開拓者が続々と未開地に逃げ込むのに対して、反対のことはほとんど起きなかった。

 だが、誰が彼らを責められるだろう?

 先住民の中で暮らす間、彼らは植民地の農民や納税者より多くの自由を語歌した。

 女性にとってその魅力はいっそう強かった。

「わたしたちは好きなようにのんびり働くことができました」と、自分を「救う」ために送られてきた同国人から身を隠した女性は語った。

「ここに支配者はいません」と、別の女性はフランス人の外交官に告げた。

「望めば結婚できるし、離婚もしたい時にできます。あなたの街にわたしほど自立した女性がいますか?」

 この数世紀の間、文明社会の出現と衰退についてさまざまな本が書かれてきた。

 マヤ文明の巨大なビラミッドや、廃城になったギリシアの神殿について考えてみよう。

 これらの本の土台になっているのは、文明が衰退すると何もかもが悪化し、世界は「暗黒時代」に突入する、という考えである。

 しかし現代の科学者たちは「それらの暗黒時代はむしろ一時的な救済の時代と捉えるべき」と提案する。

 その時代、奴隷は解放され、感染症は少なくなり、食生活は改善され文化栄えた。

 私たちは、なぜ「未開人」に対してネガティブなイメージを持っているのだろう。

 なぜ、「文明」が欠如した時代を当然のごとく「暗黒時代」と見なすのだろう。

 誰もが知る通り、歴史は勝者によって書かれる。

 最古の文章は、国家と君主の宣伝文句であふれている。

 それを世に送り出したのは、人々を見下して自分の地位を高めようとする抑圧者だ。

 「未開人」という言葉自体、「古代ギリシア語を話さないすべての人」を表現する言葉として作られた。

 こうして今では、文明は平和と進歩の代名詞になり、未開は戦争と衰退の代名詞になった。

 しかし実際には、歴史の大半を通じて、それは逆だった。

 長い間、文明は災いだった。

 例の哲学者、トマス・ホッブズの見解はこれ以上ないほど的外れだった。

 ホップズは祖先たちの生活と時代を、「不潔で、野蛮で、短い」と特徴づけた。

 しかし、正しくは「友好的で平和で、健康だった」と言うべきだろう。

 皮肉にも、ホッブズは生涯を通じて文明という呪いにつきまとわれた。

 16228年には伝染病が、後援者であるデヴォンシャー伯爵の命を奪った。

 1640年には内乱(清教徒革命)が勃発し、ホッブズはパリに逃れた。

 彼の人間観は、自らが経験した病気や戦争やその他の災難に根ざしてたが、人間の歴史が始まってから95%の期間、人間はそうした災厄を経験していなかった。

 ホップズは「現実主義の祖」として歴史に名を刻んだが人間の本性に対する彼の見方は、現実的と呼ぶにはほど遠いものだった。

 しかし、文明はすべて悪いのだろうか。

 文明は多くの良いものももたらしたのではなかったか。

 戦争と強欲さは別として、現代の世界は、感謝すべき多くのものをわたしたちに与えたのではないのか。

 もちろん、その通りだ。

 しかし、真の進歩はごく最近に起きた現象だということを、わたしたちは忘れがちだ。

 フランス革命(1789年)が起きるまで、ほぼすべての国が強制労働によって支えられていた。

 1800年まで、世界人口の少なくとも4分の3が、裕福な支配者の奴隷として生きていた。人口の90%以上の人々が畑を耕し、80%以上がきわめて貧しい生活を送っていた。

 ルソーの言葉、「人間は生まれながらにして自由ある。しかし、いたるところで鎖につながれている」は、まさに真実だった。

 長い、文明は災いだった。

 ほとんどの人にとって、都市、国家、農業、文字の出現は、繁栄をもたらさず、苦しみをもたらした。

 この2世紀の間、全体から見ればほんの一瞬で状況が急速に改善されたため、かつての生活がどれほど酷かったのかを私たちは忘れた。

 仮に文明が始まってから今日までの年月を1日に置き換えてみれば、23時45分まで人々は実に惨めな暮らしを送っていた。

 文明化が良いアイデアのように見えるようになったのは、最後の15分間だけだ。

 その最後の15分間に、まず、ほとんどの感染症が根絶された。

 現在、ワクチンは、20世紀中に戦争で失われた人命より多くの人命を毎年救っている。

 次に、わたしたちはかつてないほど裕福なった。

 極貧の生活を送る人の数は、世界人口の10%になった。

 そして3つ目として、奴隷制度が廃止された。

 1842年英国総領事がモロッコのスルタンに書簡を送り、奴隷貿易を禁じるために何をしているか、と尋ねたところ、スルタンは驚き、こう答えた。

「奴隷貿易は、あらゆる宗派と国がアダムの息子の時代から認めてきたことだ」

 スルタンには知る由もなかったがその150年後、奴隷制度は世界中で正式に廃止された。

 そして、何より良い変化、これまでで最も平和な時代が訪れたことだ。

 中世には、ヨーロッパとアジアの人口の12%が暴力によって死んいた。

 しかし、この100年間に、2つの大戦による死者を含めても、この数字は世界平均でわずか1.3%になった。

 文明は悪だと決めつける理由はない。

 わたしたちは、誰もが恩恵を受ける新たな方法で都市や国家を組織することを選択できる。

 文明の呪いは解くことができるのだ。

 わたしたちはそうするだろうか。長期的に存続し繁栄することができるだろうか。

 それは誰にもわからない。

 過去数十年の進歩は否定できないが、同時にわたしたちは、人類の存続に関わる規模の生態学的危機に直面するようになった。

 地球は温化し、種は次々に絶滅している。

 差し迫った問題は、この文明化したライフスタイルは持続可能かというものだ。

 では文明化はいいアイデアだったのだろうか?

 そう判断するのはまだ早い。

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